第1節 目覚め
- 飢谷猪むぎ
- 2016年12月1日
- 読了時間: 10分
暗闇。 気がつくと俺はそこにいた。 右を見ても左を見ても、光のない真っ暗な世界。 どこが上でどこが下なのか。 今自分はどのような状態なのか。 もっと言えば、目が開いているのか閉じているのか。 それすらも分からない。 俺は今……、なにをしている……? そんな不安な気持ちの俺に小さな光がやってくる。 それは━━音━━。 微かに聞こえる小さな音。 少しずつ聞こえてくる。 足音……、のようだった。 懐かしいような気もするその足音に、俺は何故かビクついた。 ━━ヤツが来る━━。 そう思った。 『ヤツ』とは誰だ? ……分からない。 が、来るのだ。『ヤツ』が。
段々と近づく、その音に俺は自分の身体がどうなっているかも分かっていない状態だったが、自分の肩がすくんだのが分かった。
そんな時だった。
スルッと音がする。 と、同時に、これでもかとばかりに光が俺の目の中へと入ってくる。 目が痛い。光が、俺の目の奥に突き刺さる。 「仕事だ」 目を押さえ、もがき苦しむ俺に『ヤツ』は言った。 「仕事だ」 目の奥から光は視神経を通り、直接脳内へと侵入する。 突然やってきた、激しい頭への痛みとも、重みとも言える『ソレ』と同時に『ヤツ』の声が俺の頭に響いた。 「あぁ……。分かってる……」 俺はまだ目も開けられない状態だったが、そう言えば『ヤツ』が黙ると思い、これ以上頭痛をヒドくさせられても嫌だったから言ってやった。 「滞在できる時間は……」 「30分だろ。分かってるから」 『ヤツ』の言葉をさえぎり、俺は口走った。 とりあえず『ヤツ』を喋らせたくはなかった。 30分。仕事。滞在時間。 幾度となく俺はこの言葉を耳にしてきたはずだ。 それなのに何も思い出せない。なぜ……? 「ほぅ。分かっているのか。思った以上の回復力だ。 今回の仕事でお前を消そうと思っていたが、どうやらまだ使えるようだな」 『ヤツ』は不気味な笑みを浮かべて俺に言った。 正確に言えば、不気味な笑みを浮かべているであろう『ヤツ』は俺に言った。か。 未だに目の開けられない俺は、背中からの衝撃により、どこかへ転がり落ちた。 いや……。落ちている。 風が顔に当たっている。 下から向かってくる風圧でまぶたが開く。 太陽の光を背中で受けているせいか、自然と自分の影が出来る。 暗くなかった。 そして俺は、初めて外界を見たんだ。 いや、━━3824ヶ月ぶり━━か。 そんな事を思っていると、顔にものすごい衝撃が走る。 どうやら下に着いたようだった。 今日は何やら良く頭に衝撃が走る。 まぁ良い。 そんなことは俺にとって、どうでも良かった。 少なからず、俺は今から30分間は自由だ。 誰かに操られることもない。 身体の一部が制限されているわけでもない。 そしてなによりも━━暗くない━━。 俺はそっと立ち上がった。 今回の仕事の内容はまだ知らない。 が、じきに分かるであろう。 なぜだかは分からない。 が、言うなれば『身体が覚えている』というやつか。 俺は辺りを見回した。 窓ガラスが全て割れ、そのモノ自体が傾いてしまっている高層ビルのようなものが、両脇にひっそりと建っている。 一本の道が俺の足下にあり、それは真っ直ぐ どこまでも延びているようだった。 街路樹だろうか。その建物の前に、折れてしまい黒くなった木のようなものが、そこら中に落ちていた。 「アレン。準備はいいか」 『ヤツ』の声が耳元で聞こえてくる。 まただ。せっかく離れることが出来たと思ったのだがな……。 俺は再び襲いかかる頭痛により、手で頭を押さえる。 その時に初めて、自分がヘッドホンを付けていることに気がつく。 そして、『ヤツ』の声はそこから聞こえていることも確かだった。 「あぁ。大丈夫だ。だからもう、喋るな」 頭を押さえ、俺は『ヤツ』に言った。 「残りの時間はお前の左腕に表示されている。 その時間が『0』になったら……」 「分かってるっ!! だから喋るな!!」 思わず怒鳴る。 頭が痛かった。 「健闘を祈る」 そう言い残して、それっきり『ヤツ』の声は聞こえなくなった。 俺はそっと、『ヤツ』が言っていた時間とやらを見るために、ダークブルーの生地に灰色のラインの入った、いけ好かないジャケットの袖をめくる。 すると腕には、赤い色の数字がデジタル文字で表示されている。 本当は知らない。 この数字が『0』になったら、どうなるのか。 俺の仕事とはなんなのか。 ふと、俺の心は染まっていく。 いや、染まり始めていっているような気がする。 偉大で、巨大な、不安という色に。 「ああああああああああああああーーーーーーーーっ!!」 叫ぶ。とにかく叫ぶ。 理由はない。意味もない。 が、叫ぶ。 自分の心を染まらせないために。 自分が自分のままでいられるように。 俺が、叫び終わると辺りに静寂が戻る。 無音のはずなのに、なぜか耳の中で『キーン』という何かが鳴っているような気がした。 静寂。 良く考えれば、俺はそれを一番嫌っていたのかも知れない。 正直なところ、俺には記憶がない。 覚えているのは『アレン・シュヴァルツ』。 俺の名前だけだ。 ただ、それすらも本当なのかと突っ込まれれば、俺は大きく頷くことは出来ないが……。 ただ、先程から感じているように、頭では覚えていなくても、身体が、心が、何かを覚えている。 俺は、ふと空を見上げる。 鳥一匹すら飛んでいない空には、雲すらなく ひらすらに薄い水色。つまりは空色が広がっていた。 ふと、そんな俺を見つめている一つの視線を感じた。 間違いない。右側にある傾いたビルの2階からだ。 そう思うと同時に俺は歩き出していた。 廃ビル。と言って良いのだろうか。 その建物は、所々壁が剥がれていて 鉄骨がむき出しになっていた。 中に入ると、この建物が以前、何に使われていたのかが、すぐに分かった。 ━━病院だ━━ 中に入ってすぐ左手側に、受付と書かれたプレートがすぐ上に埋め込まれたカウンターがある。 そして、そのカウンターの向かいには、ひっくり返った丸イスがそこら中に落ちている。 さらにその奥を見ると、『内科』、『外科』と書かれたプレートが天井からぶら下がっていた。 当然のことながら、人の気配はない。 こんな忘れられた場所に、しかも病院に人がいるとしたら、それは言うまでもなく『アレ』だろう。 が、視線を感じたのは2階だ。 俺は喉の奥から沸いてくる唾を飲み込みながら受付の横にある2階へと続く階段へ向かった。 2階は主に検査室が並んでいた。 『レントゲン室』、『エコー室』 それらを抜けて俺は視線を感じた部屋の前に着いた。 『MRD』 と書かれた部屋だった。 なぜ『I』が消されている……? 俺はふとそう思ったが、あえて触れないことにした。 触らぬ神に祟り無し。 そんな言葉をどこかで聞いたことがある気がする。 そう自分で言っておきながら、俺は『MRD』室のドアのドアノブに手をかけた。 その時だった。 「開けちゃダメ!!」 突然の声にビックリした俺は思わずドアを閉める。 すると、ドンという大きな音を立ててドアが揺れた。 おいおい……なんなんだよ。 俺は戸惑いながらも、どうしたら良いかを必死に考えた。 「逃げて!! 逃げちゃう!!」 ドアの内側から、幼い少女の声がする。 幼女と病院と荒廃した街。 どこぞの『ラルゴンハザード』とかいう映画を思い出させるシチュエーションだな。 ん?なぜ、俺はその映画を知っているのだ……? そんなことは今はどうでも良い。 とりあえず何が起きているのかが分からない。 そもそも、『逃げて!! 逃げちゃう!!』とは、俺に逃げて欲しいのか?逃げられたら困るのか? どっちなんだ? っとまぁ、そんな下らないことを考えている俺が甘かったと後悔することになるのは、この後すぐだった。 再びドアから大きな音がすると、ドアに付いている金具がゆるむのを見て、俺はドアから離れた。 その行動は正解だったと言えよう。 すぐにドアは破られて、中から白衣を着た猫背の男が出てきた。 「随分と手荒い歓迎だな。 お前、ここで何してたんだ?」 何をしていたのか。そんなことはおおよそ予想はつく。 その予想を確実付けるものが、更にヤツの首にあった。 ヤツの首には、青やら赤のコードがたくさん巻き付けられていた。 恐らく、検査用の機械のプラグか何かだろう。 俺は医師でも看護士でもないから、その類は良く分からない。 そのコード類は、反対側のドアノブにくくりつけられていた。 つまりは、誰かがコイツを動けないように縛り付けたのだ。 この状況下では、誰がしたのかは、言うまでもないだろう。 続いて俺は、その男が正気でないことを確認する。 目は充血を通り越し、真っ赤になっていて、 身体の筋肉は、医者らしい見た目とは裏腹にボディービルダーのような付き方をしていた。 「今回の仕事の内容が分かったみたいだな。アレン」 頭に着いたヘッドホンから再び『ヤツ』の声がする。 「まさかとは思うが、コイツを倒して中にいる少女を救出しろと?」 俺は痛む頭を必死に押さえて『ヤツ』に聞いた。 「あぁ。そういうことだ。理解が早くて助かる」 ツッコみたいところは、たくさんあった。 が、これ以上俺が話せば、頭痛は余計に増すだろう。 俺が良くても、俺の頭が良くない。 頭が良くないというのは、バカという意味ではなくて、つまり、そういうことだ。 まぁ、そういうことで俺は黙ることにした。 「待って兄さんっ!! また勝手なことして!! アレンさんはまだ、メディカルチェックすら終わってないのよっ!? いきなり戦闘なんて無理よ!!」 「送っちまったものは仕方ないだろ」 何やらヘッドホンの向こう側が騒がしい。 俺は、ヘッドホンの向こう側が静まるまで、目の前で必死に首に着いたコードを取ろうと、もがいている男を見た。 なんとも哀れな姿だった。 皮膚は腐っているのか、赤黒く、着ている白衣にも、酸化した血が所々に着いていた。 まさしくヤツはゾンビそのものだった。 言葉すら話せずに、鳴き声のような音を口から発している。 自分が何をしたいのかすらも分からずに、ひたすら破壊衝動に刈られているのだろう。 実に哀れだ。 哀れで、狂おしく、そしてまたそこに美しさすら感じるから不思議だ。 そんなことを思っていると、ヘッドホンから俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。 「アレンさん、聞こえますか!?」 『ヤツ』とは違い、女性らしい高い声が聞こえる。 この声からは、頭痛は感じられない。 「あぁ。聞こえてる」 「わたしは、日本旧東京支部ダリアスの特殊部隊アグリス情報伝達部所属オペレーターのニア・カルロディアです。 今からあなたをオペレートします。準備は良いですか?」 何を言っているのか分からないが、どうやら俺のことをサポートしてくれるのが分かった。 「アレンをオペレートする必要はないと言ってるだろ!!」 「兄さんは黙ってて!!」 喧嘩をするな、喧嘩を……。 呆れて物が言えないとは、このことか。 と、俺は心の片隅でつぶやいた。 「アレンさん、レイル・ブレードの出し方は分かりますか?」 レイル・ブレード? まずそこからだ。なんだそれは。 ブレードと言うからには、剣なのだろうか。 しかし、出すとはどういうことなのだろうか。 「分からないけど、とりあえずコイツ鎮めるくらいなら、素手で充分だろ」 俺には自信があった。 なんちゃらブレードとか、文明やら道具やらを頼るよりも、自分自身でぶつかっていった方が余程安心できる。 物は故障するが、自分が不良の故障をすることはない。 つまり、自分は裏切らないからだ。 「ほらな」 ヘッドホン越しに『ヤツ』の声がする。 「素手なんて…危険ですアレンさん!!ただちにレイル・ブレードを……」 「あぁー、はいはい。わーったぜ」 しつこいヤツは嫌われるぜ? そう心の中で叫びながら、俺は拳を構えた。 なんだか、懐かしい気がする。 ひょっとすれば、俺は記憶を失う前もこうして闘っていたのかも知れない。 白衣の男は、戦闘態勢に入った俺を見ると大きくうなり声をあげ、そして俺に向かって拳をとばす。 遅い。 俺は上体を少し右側にそらし、その拳をかわすと、敵の腕をつかむ。 そして、そのまま男の重心を利用して、腕を男が行こうとしている方向へ流す。 とっさに男の手首をつかんでいない右手のひじを敵に向けて突き出す。 無論、倒れてきた敵の腹部に俺のひじが入るわけで。 そしてそのまま下へしゃがみ込んで足を回す。 ひじによって重心は後方へと移っているため、後ろ側から足を取られれば、言うまでもなく男は倒れる。 そして、無様にアホヅラを晒して横になっている男の顔めがけて、俺は足を振り降ろした。 バキッという軽快な音を聞いて、俺は頭蓋骨が割れたのを確認する。 その間3秒。 「ちょろいな」 俺はそっとつぶやくと、ヘッドホンの向こう側が何やら騒がしかった。
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